2012年
12月13日

第19回 「長瀬川沿いを歩く ー 古絵図を見ながら -

空は雲あり梅雨明けの炎天下は避けられそう、各自で水分補給を心がけること。渋川神社は長瀬川の北側にあったが、天文2年(1533)5月の大洪水で流され、元亀元年(1572)に現在地(もとの御旅所)に鎮座された。祭髪は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)JR線の踏切を渡り、安中新田会所跡に移動、この新田の開発は宝暦12(1762)、玉手山にある安福寺の珂慶上人と縁があり、田原本出身の植田家林蔵が初代支配人となり、現在まで続きその屋敷が安中新田会所跡として八尾市の指定文化財として保存され、中を見ることができる。八尾高校内にある「狐山」を見る、大和川付替え以前の堤防であった。狐山の位置は河川敷が局部的に西に張り出ていて、この位置から用水路が分岐していること、厚さ5mに及ぶ盛土層は、洪水による堤防決壊部分の締め切りとその上部の築堤のための盛土であると考えられている。長瀬神社では、宮司さんの説明を聞きいいた後、拝殿の那珂にある、元禄三年の年号のある燈籠を見せて頂いた。この地は明治22年7月、渋川郡長瀬村となり、昭和12年に布施市、昭和46年東大阪市長瀬町となる。長瀬墓地は河内七墓の一つで、行基が設けた。行基供養塔、念仏宗の祖法明上人の御廟がある。波牟許曽神社は式内社で、延喜式神名帳に記載されている。江戸時代には広い敷地を持った大社であったと考えられている。旧住所表示は渋川郡北蛇草郡字ケという。蛇草はハミクサで神社名かた地名となったようである。波牟許曽のハムは蛇のことべ、コソは社との解釈が一般的である。ハムコソがハムクサ、さらになまってハグサとなった。時折、空模様が怪しくなり雨が降りそうであったが、傘をささずに歩けたのは、願ってもない天候に恵まれた。

歩いたコース 実施日 平成24年7月21日   案内 常谷さん

集合場所 JR八尾駅南口 渋川神社境内に集合(スタート)

 渋川神社 → 安中新田船着場跡 → 久宝寺上樋 → 狐山(八尾高校内) → 

久宝寺船着場と八尾浜 → 金岡公園(昼食) → 大蓮寺跡 → 長瀬神社 → 

吉松新田会所跡 → 長瀬墓地 → 波牟許曽(はむこそ)神社(解散) 14時半 

近鉄 長瀬駅(5分) JR長瀬駅(10分)(約9キロ)


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