2012年12月 一覧
12月17日
第22回 「河内西国札所(石切駅~野崎観音)を歩く」
石切駅では、小雨が降る中をスタート。丹波神社は、江戸時代大坂西町奉行で日下村の領主となり、この地で没した曽我丹波守又左衛門古祐(ひさすけ)を祀ってある。日下村の領主として数々の善政を行った丹波守の遺徳を偲ぶ村人たちが、25回忌の時に墓を立て、後年その墓碑の上に社殿を建てて、“丹波神社(たんばじんじゃ)と称して祀ったとのこと。福万寺に陣屋が置かれ、明治元年まで代々曽我氏の支配地だった。福万寺墓地に亀跌の上に乗った曽我左衛門永祐(ながすけ)の墓碑がある。太龍寺では秋景色が映えた景色を見れ、本堂に上り仏さまを拝むことができた。菩提寺の境内では丁度色づいた木々は見ごろで、庫裏をお借りして昼食。保存してある貴重な駕籠を見せて頂いた。来ぶらり四条では大東市立歴史民俗資料館を見学、学芸員さんの案内で館内の展示物の説明をして頂いた。9月から展示されている、近世大東の村落『河合家文書』から見える三箇村(さんがむら)の古地図など興味あるものが多数みるもることができ、ラッキー。雨がひどくなっていたが、慈願寺(野崎観音)の境内を拝観し、石造九重層塔を見に行く。少し、距離が長かったが、立ち寄った旧河澄栄家の建物や庭、専應寺など見所の多いコースで、降りしきる雨もさほど気にならず、案内して頂いた史跡で田村節を聞き、楽しく歩くことができた。記:二保
歩いたコース 実施日 平成24年11月17日 案内 田村さん
集合場所 近鉄石切駅に集合
スタート → 丹波神社 → 正法寺跡 → 第28番:太龍寺 →
東地蔵・慈雲尊者の常夜灯 → 旧河澄家 → 安岡正篤旧宅 → 第29番:菩提寺
→ 足立氏屋敷跡 → 古堤街道の道標 → 大阪桐蔭高等学校 →
東高野街道の案内札→ 寺川〈蓮光寺跡〉 → 来ぶらり四条 → 専應寺
→ 特別客番:慈願寺(野崎観音)
JR野崎駅 (解散)15時半 歩行距離 (約9.5キロ)
12月13日
第21回 「龍田大社・風神の伝承地を歩く」
ケーブル、バスを乗り継いで信貴山門、ここから歩き始めました。柏原市本堂にある生安寺に寄り、車道を南下。奈良盆地の東側の山脈、三輪山とその向こうに高見山、さらに大和三山から大峰山脈もかすかに、金剛、葛城、二上が重なりPLの塔も見え、山の展望を満喫しながら御座峰に到着。ここは龍田大社の祭神である風神が降臨した聖地で、風鎮大祭の翌日神官が参拝します。 三室山三角点から三室山古墳群を見て大和川河畔の磐瀬の杜へ。ここでは例大祭の前日、生きた魚を川神に供える瀧祭が行われます。 龍田大社は秋祭りで賑わっていました。
歩いたコース 実施日 平成24年10月20日 案内 米田さん
集合場所 近鉄信貴山口駅に集合
ケーブルで高安山へバスに乗り信貴山門に移動。
スタート → とっくり湖堰堤 → 生安寺(しょうあんじ) → 御座峰(ござみね)→
竜田古道の里公園(昼食) → 傳龍田神社本宮趾 → 三室山展望台(三角点) →
第二広場 → 三室山古墳群 → 関地蔵 → 磐瀬の杜 → 神南備(甘南備)神社 →
龍田大社(解散)14時半 → JR三郷駅へ
歩行距離 (約8.0キロ)
12月13日
第20回 「八尾の地蔵さん 水呑参道の仏たち」
水呑参道は十三街道の十三峠へつながる道中で、奈良時代から難波と奈良を結ぶ主要な街道であった。神立延命地蔵堂にある一番から、参道の石仏は四国八十八所巡礼を模して造られていたようだが、番号が飛んだり、破損したものもあって、四十番が最後となっている。そのほとんどの石仏は、地蔵菩薩ではなく、弘法大師像・釈迦如来像・大日如来像・阿弥陀如来像・薬師如来像・千手観音像・十一面観音像・虚空菩薩像などである。それらの像のお姿や、手印・持ち物の特徴など一体一体の石仏を区別してもらえたらと願い案内させてもらった。又、服部川八幡宮では八幡社の祭神やその由来と楽山上人作の地蔵像、神立共同墓地(河内七墓の一つ)五輪塔・宝篋印塔の違いや、六地蔵などのいわれについて説明をした。
歩いたコース 実施日 平成24年9月15日 案内 高井さん
集合時間 9時30分 集合場所 近鉄服部川駅付近公園に集合(スタート)
服部川八幡宮 → 大窪薬師・道標・地蔵堂→ 西口地蔵・観音造・神立墓地 →
北小路地蔵・神立地蔵堂 → 水呑地蔵院(昼食) → 神立茶屋辻・玉祖神社 →
(解散)14時半 服部川駅に向かう 歩行距離 (約7.5キロ)
12月13日
第19回 「長瀬川沿いを歩く ー 古絵図を見ながら -
空は雲あり梅雨明けの炎天下は避けられそう、各自で水分補給を心がけること。渋川神社は長瀬川の北側にあったが、天文2年(1533)5月の大洪水で流され、元亀元年(1572)に現在地(もとの御旅所)に鎮座された。祭髪は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)JR線の踏切を渡り、安中新田会所跡に移動、この新田の開発は宝暦12年(1762)、玉手山にある安福寺の珂慶上人と縁があり、田原本出身の植田家林蔵が初代支配人となり、現在まで続きその屋敷が安中新田会所跡として八尾市の指定文化財として保存され、中を見ることができる。八尾高校内にある「狐山」を見る、大和川付替え以前の堤防であった。狐山の位置は河川敷が局部的に西に張り出ていて、この位置から用水路が分岐していること、厚さ5mに及ぶ盛土層は、洪水による堤防決壊部分の締め切りとその上部の築堤のための盛土であると考えられている。長瀬神社では、宮司さんの説明を聞きいいた後、拝殿の那珂にある、元禄三年の年号のある燈籠を見せて頂いた。この地は明治22年7月、渋川郡長瀬村となり、昭和12年に布施市、昭和46年東大阪市長瀬町となる。長瀬墓地は河内七墓の一つで、行基が設けた。行基供養塔、念仏宗の祖法明上人の御廟がある。波牟許曽神社は式内社で、延喜式神名帳に記載されている。江戸時代には広い敷地を持った大社であったと考えられている。旧住所表示は渋川郡北蛇草郡字ケという。蛇草はハミクサで神社名かた地名となったようである。波牟許曽のハムは蛇のことべ、コソは社との解釈が一般的である。ハムコソがハムクサ、さらになまってハグサとなった。時折、空模様が怪しくなり雨が降りそうであったが、傘をささずに歩けたのは、願ってもない天候に恵まれた。
歩いたコース 実施日 平成24年7月21日 案内 常谷さん
集合場所 JR八尾駅南口 渋川神社境内に集合(スタート)
渋川神社 → 安中新田船着場跡 → 久宝寺上樋 → 狐山(八尾高校内) →
久宝寺船着場と八尾浜 → 金岡公園(昼食) → 大蓮寺跡 → 長瀬神社 →
吉松新田会所跡 → 長瀬墓地 → 波牟許曽(はむこそ)神社(解散) 14時半
近鉄 長瀬駅(5分) JR長瀬駅(10分)(約9キロ)
12月13日
第18回 「楠木正行ゆかりの往生院から高安山へ」
瓢箪山駅から南北につながる商店街を南進し(商店街の道が東高野街道(京みちです)。四条一里塚跡を経て瓢箪山稲荷神社を拝観。瓢箪山稲荷神社の祭神は保食神(うけもちのかみ)で日本三稲荷の一つで、辻占(つじうら)の総本社です。瓢箪形をした双円形の瓢箪山古墳上に祀られています。辻占の場所が「うらば」で、もと東高野街道沿いにあった。東大阪市立郷土博物館では、中西学芸委員さんより館内の説明を受けたあと、引き続き山畑2号墳を案内して頂く。全長16.6mの府下最大の横穴式石室が保存されていて、室内はいくつもの巨岩で組み立てられその大きさには驚きです。二本松古墳では、墳丘・石室ともにほぼ完全な姿で残存するもので、天井石は八尾の愛宕塚古墳に次ぐ大きなものが使われているそうです。
楠木正行ゆかりの史跡では、南北丁時代、南朝方の武将楠木正行は往生院を本陣として、北朝方の高師直の大軍に立ち向かったが、四条縄手合戦で討死しました。東大阪市上四条町には戦いの伝承があちこちにあり、道すがら立ち寄ったのが「小楠公終焉所の碑(霊光院)」、そしてこの付近には、和田賢秀の伝承に由来する「歯神(はがみ)さん」の祠がある。そして陣を敷いた往生院を拝観、住職さんより境内・及び民具供養館・小楠公御墓の案内と説明をして頂いた。後醍醐天皇に縁があるという醍醐寺(安楽寺)、常光院、大賀世神社を経て、しおんじやま古墳に到着。解散
歩いたコース 実施日 平成24年5月19日 案内 桝井さん
近鉄 瓢箪山駅(スタート)
瓢箪山駅 → 東高野街道と一里塚跡 → 瓢箪山稲荷神社 →
成山古墳 → 東大阪市立郷土博物館→ 山畑2号古墳 → 地蔵谷川分水樋 →
二本松古墳 → 高塚古墳 → 往生院六万寺(昼食)→
醍醐寺 → 常光院→ 大賀世神社 → しおんじやま古墳学習館
(解散 15時 約9キロ)
12月11日
第17回 「村相撲力士の墓碑を訪ねる」
“すもう”の歴史は古代に遡るが、「大坂相撲」が勧進相撲開催の許可を得たのが元禄期
(17世紀末)であった。
村の氏神や郷社の祭礼に試合・奉納していた素人相撲が、「親方(頭取)」を中心に
相撲部屋が組織する
ようになるのは河内では18世紀末頃とされる。明治時代には河内を中心に約80もの
村相撲部屋が生れ、8つの相撲組合が設けられた。
八尾市域では、十の部屋があり、プロの大坂相撲や統一後の大相撲とも地方巡業や
力士養成を通じて関係をもっていた。活躍の場は、伝統的な宮相撲(奉納相撲村々の
神社の外に玉祖神社の秋祭)や夜相撲などで部屋の交流も盛んであった。
歩いたコース (実施 平成24年4月21日) 案内 嵜 本 さん
集合場所 近鉄 久宝寺駅駅
久宝寺墓地<東川部屋。礒川部屋> → 久宝寺寺内町<許麻橋地蔵・顕聖寺・慈願寺・札の地蔵>
→ 本町橋 → <西郷墓地> → 常光寺<力士碑・森本行誓碑> → 八尾寺内町
<天満宮・大信寺・昼食> → 慈願寺 → 八尾共同墓地<浄源寺墓地> → 安中共同墓地
<絹川部屋>→ 渋川神社(解散) (15時半 約9キロ)
12月09日
第16回 「道鏡、弓義宮伝承地を歩く」
道鏡の故郷である河内国弓削に造られた西の京。古より諸説に彩られた
幻に都(みやこ)を発掘調査の成果を踏まえて紹介。
『続日本記』に神護景雲三年(769)10月17日に、称徳天皇が
由義宮に行幸したことが書かれている。
この「ゆかり」があったとされる、弓削寺・行宮の跡と
その周辺の史跡を訪ねる。
歩行コース 実施日 平成24年3月18日 案内人 田村さん
近鉄 法善寺駅(スタート) 十三仏地蔵尊碑 → 法善寺廃寺跡 → 弓削神社(弓削町)→
弓削神社(東弓削) → 都留美島神社 → 弁財天塚 → 善立寺 →
曙川コミセン(資料の説明・昼食)→ 由義神社(由義宮旧址碑) → 矢作神社 →
安中小学校(龍華寺址碑) 解散 15時 約10キロ
12月09日
第15回 「大窪・神立の古墳を歩く」
前日の天気予報では雪とのことで、天候が心配されましたが、寒いながらも無事に心合寺山までたどりつけました。明治21年に坪井正五郎・山崎直方両氏のスケッチによって紹介された古墳(塚穴)を求めて、古絵図を頼りに彼らの足取りを考えてみました。
案内者の思い入れが強すぎた感はありましたが、スタッフや参加者の方々の補足説明や、古絵図の写真パネルを見せて下さった歴史民俗資料館、境内での昼食をお許し下さった玉祖神社、屋内での説明場所として館内を使用させていただいた心合寺山古墳学習館、そして説明を聞いて下さった参加者の皆さんに感謝致します。また、午前中はFMちゃおのレポーターが同行され、当日午後2時30分に録音によるレポートが放送されました。(松江記)
歩行コース 実施日 平成24年2月18日 案内人 松江さん
スタート ⇒ 服部川公園 ⇒ 八尾市立歴史民俗資料館 ⇒ おうとごえ道標
⇒ 岩田山→狸山 ⇒ 大窪のドルメン ⇒ 芝塚2号墳址 ⇒ 芝塚古墳
⇒ 玉祖神社(昼食)・伴林光平墓 ⇒ 伊能忠敬天体観測推定地 ⇒ 愛宕宮・愛宕灯篭
⇒ 愛宕塚古墳 ⇒ 小字フタゴ塚付近 ⇒ いろは文五郎碑・地蔵・高安遊園地道標
⇒ 心合寺山古墳学習館で説明、解散。3時 (歩行距離 約7キロ)
12月09日
第14回 「志紀・弓削地区の地蔵さん巡り」
当日、穏やかな天気に恵まれ41名の参加者が集いました。八尾市には、石器時代から様々な埋蔵遺跡や文化財が、各地区から発掘されていますが、周知の通り由義宮に関する遺跡は、現在のところ幻となっております。八世紀半ば過ぎに造営されたとなっている由義宮ですが、772年に河内方面に大型台風が襲い、大和川が氾濫し志紀・弓削地域一帯も瓦礫の山となったと続日本記に記載されています。当時、河内・八尾地域において称徳天皇と道鏡とによって造営された一大モニュメントであった由義宮は、それによって跡形もなく歴史上から消しさられてしまったことは誠に残念です。ただ、この付近に今も都塚の地名を残し、都留美島神社や由義神社が後世になって建立されたことで、その痕跡を少し伺い知ることができます。
又、地蔵めぐりの方は志紀・弓削霊園の六地蔵像や、八尾市内における最古の地蔵と言われる鎌倉期に造営された天王寺屋地蔵像などを見学し、地蔵像のいわれやその特徴を学習して、全員無事に柏村稲荷神社で解散しました。
歩行コース 実施日 平成23年12月17日 案内人 高井さん
スタート ⇒近鉄恩智駅 ⇒ 大塚・融心寺 ⇒ 都塚墓地・都留美島神社 ⇒
二俣・東弓削墓地 ⇒ 二俣分水路・四軒町地蔵⇒志紀弓削霊園 ⇒ 志紀コミセン
⇒ (ランチタイム) ⇒天王寺屋地蔵 ⇒ 六輔地蔵 ⇒ 不動地蔵・常夜灯 ⇒
由義神社 ⇒ 緑泉寺前地蔵 ⇒ 柏村稲荷神社前延命地蔵
解散 3:00 ⇒ 近鉄恩智駅へ 全コース 歩行距離 約8キロ
12月09日