2012年12月13日 一覧

2012年
12月13日

第21回 「龍田大社・風神の伝承地を歩く」

ケーブル、バスを乗り継いで信貴山門、ここから歩き始めました。柏原市本堂にある生安寺に寄り、車道を南下。奈良盆地の東側の山脈、三輪山とその向こうに高見山、さらに大和三山から大峰山脈もかすかに、金剛、葛城、二上が重なりPLの塔も見え、山の展望を満喫しながら御座峰に到着。ここは龍田大社の祭神である風神が降臨した聖地で、風鎮大祭の翌日神官が参拝します。 三室山三角点から三室山古墳群を見て大和川河畔の磐瀬の杜へ。ここでは例大祭の前日、生きた魚を川神に供える瀧祭が行われます。 龍田大社は秋祭りで賑わっていました。

歩いたコース  実施日 平成24年10月20日    案内 米田さん

集合場所 近鉄信貴山口駅に集合

 ケーブルで高安山へバスに乗り信貴山門に移動。

スタート → とっくり湖堰堤 → 生安寺(しょうあんじ) → 御座峰(ござみね)→ 

竜田古道の里公園(昼食) → 傳龍田神社本宮趾 → 三室山展望台(三角点) → 

第二広場 → 三室山古墳群 → 関地蔵 → 磐瀬の杜 → 神南備(甘南備)神社 →

龍田大社(解散)14時半 → JR三郷駅へ  

歩行距離 (約8.0キロ) 

2012年
12月13日

第20回 「八尾の地蔵さん 水呑参道の仏たち」

水呑参道は十三街道の十三峠へつながる道中で、奈良時代から難波と奈良を結ぶ主要な街道であった。神立延命地蔵堂にある一番から、参道の石仏は四国八十八所巡礼を模して造られていたようだが、番号が飛んだり、破損したものもあって、四十番が最後となっている。そのほとんどの石仏は、地蔵菩薩ではなく、弘法大師像・釈迦如来像・大日如来像・阿弥陀如来像・薬師如来像・千手観音像・十一面観音像・虚空菩薩像などである。それらの像のお姿や、手印・持ち物の特徴など一体一体の石仏を区別してもらえたらと願い案内させてもらった。又、服部川八幡宮では八幡社の祭神やその由来と楽山上人作の地蔵像、神立共同墓地(河内七墓の一つ)五輪塔・宝篋印塔の違いや、六地蔵などのいわれについて説明をした。

歩いたコース   実施日 平成24年9月15日   案内 高井さん

集合時間 9時30分   集合場所 近鉄服部川駅付近公園に集合(スタート)

服部川八幡宮 → 大窪薬師・道標・地蔵堂→ 西口地蔵・観音造・神立墓地 → 

北小路地蔵・神立地蔵堂 → 水呑地蔵院(昼食) → 神立茶屋辻・玉祖神社 →

 (解散)14時半 服部川駅に向かう 歩行距離 (約7.5キロ)

2012年
12月13日

第19回 「長瀬川沿いを歩く ー 古絵図を見ながら -

空は雲あり梅雨明けの炎天下は避けられそう、各自で水分補給を心がけること。渋川神社は長瀬川の北側にあったが、天文2年(1533)5月の大洪水で流され、元亀元年(1572)に現在地(もとの御旅所)に鎮座された。祭髪は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)JR線の踏切を渡り、安中新田会所跡に移動、この新田の開発は宝暦12(1762)、玉手山にある安福寺の珂慶上人と縁があり、田原本出身の植田家林蔵が初代支配人となり、現在まで続きその屋敷が安中新田会所跡として八尾市の指定文化財として保存され、中を見ることができる。八尾高校内にある「狐山」を見る、大和川付替え以前の堤防であった。狐山の位置は河川敷が局部的に西に張り出ていて、この位置から用水路が分岐していること、厚さ5mに及ぶ盛土層は、洪水による堤防決壊部分の締め切りとその上部の築堤のための盛土であると考えられている。長瀬神社では、宮司さんの説明を聞きいいた後、拝殿の那珂にある、元禄三年の年号のある燈籠を見せて頂いた。この地は明治22年7月、渋川郡長瀬村となり、昭和12年に布施市、昭和46年東大阪市長瀬町となる。長瀬墓地は河内七墓の一つで、行基が設けた。行基供養塔、念仏宗の祖法明上人の御廟がある。波牟許曽神社は式内社で、延喜式神名帳に記載されている。江戸時代には広い敷地を持った大社であったと考えられている。旧住所表示は渋川郡北蛇草郡字ケという。蛇草はハミクサで神社名かた地名となったようである。波牟許曽のハムは蛇のことべ、コソは社との解釈が一般的である。ハムコソがハムクサ、さらになまってハグサとなった。時折、空模様が怪しくなり雨が降りそうであったが、傘をささずに歩けたのは、願ってもない天候に恵まれた。

歩いたコース 実施日 平成24年7月21日   案内 常谷さん

集合場所 JR八尾駅南口 渋川神社境内に集合(スタート)

 渋川神社 → 安中新田船着場跡 → 久宝寺上樋 → 狐山(八尾高校内) → 

久宝寺船着場と八尾浜 → 金岡公園(昼食) → 大蓮寺跡 → 長瀬神社 → 

吉松新田会所跡 → 長瀬墓地 → 波牟許曽(はむこそ)神社(解散) 14時半 

近鉄 長瀬駅(5分) JR長瀬駅(10分)(約9キロ)

2012年
12月13日

第18回 「楠木正行ゆかりの往生院から高安山へ」

瓢箪山駅から南北につながる商店街を南進し(商店街の道が東高野街道(京みちです)。四条一里塚跡を経て瓢箪山稲荷神社を拝観。瓢箪山稲荷神社の祭神は保食神(うけもちのかみ)で日本三稲荷の一つで、辻占(つじうら)の総本社です。瓢箪形をした双円形の瓢箪山古墳上に祀られています。辻占の場所が「うらば」で、もと東高野街道沿いにあった。東大阪市立郷土博物館では、中西学芸委員さんより館内の説明を受けたあと、引き続き山畑2号墳を案内して頂く。全長16.6mの府下最大の横穴式石室が保存されていて、室内はいくつもの巨岩で組み立てられその大きさには驚きです。二本松古墳では、墳丘・石室ともにほぼ完全な姿で残存するもので、天井石は八尾の愛宕塚古墳に次ぐ大きなものが使われているそうです。

楠木正行ゆかりの史跡では、南北丁時代、南朝方の武将楠木正行は往生院を本陣として、北朝方の高師直の大軍に立ち向かったが、四条縄手合戦で討死しました。東大阪市上四条町には戦いの伝承があちこちにあり、道すがら立ち寄ったのが「小楠公終焉所の碑(霊光院)」、そしてこの付近には、和田賢秀の伝承に由来する「歯神(はがみ)さん」の祠がある。そして陣を敷いた往生院を拝観、住職さんより境内・及び民具供養館・小楠公御墓の案内と説明をして頂いた。後醍醐天皇に縁があるという醍醐寺(安楽寺)、常光院、大賀世神社を経て、しおんじやま古墳に到着。解散

歩いたコース 実施日 平成24年5月19日   案内 桝井さん

近鉄 瓢箪山駅(スタート)

 瓢箪山駅 → 東高野街道と一里塚跡 → 瓢箪山稲荷神社 → 

成山古墳 → 東大阪市立郷土博物館→ 山畑2号古墳 → 地蔵谷川分水樋 → 

二本松古墳 → 高塚古墳 → 往生院六万寺(昼食)→

醍醐寺 → 常光院→ 大賀世神社 → しおんじやま古墳学習館

(解散 15時 約9キロ) 


環境アニメイティッドやお TOPへ

Calendar

2012年12月
    1月 »
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

Category

Archive

PAGE TOP
Copyright © 環境アニメイティッドやお. All rights reserved.